三宅総鎮座 井於神社
 ◆いお神社〜公式ホームページ〜  鎮座地:大阪府茨木市蔵垣内


   

◆御由緒

 
井於神社の創建年代は明らかでありませんが、平安初期、延長五年(西歴927年)に編纂された延喜式神名帳に「ヰノヘノ神社」と記載されていることから、千余年以上の昔に御鎮座されました。
 当社は元々三宅村宇野辺に鎮座し、「井於連」が氏神として崇敬した井の神(水・泉の神)で、三宅郷の田畑の灌漑用水を守らせ給う神として、篤い信仰が捧げられておりました。その昔、雨が降らず干魃になると氏子の若衆が藁で龍を作り、雨乞いの祈願を行なった後、龍を担いで村中を練り歩き、池中に投じることで水の神の恩恵に感謝していたと伝えられています。
 当社が現在の場所(茨木市蔵垣内)に遷座されたのは、享徳年中(1452〜1454年)のことであり、永正年中(1504〜1520年)に三宅城城主・三宅出羽守国村公により、天児屋根命が勧請され当社の相殿におまつりされたとあります。又、素盞鳴命を祀るようになったのは、織田信長の頃、社が兵火で焼かれるのを免れるために、信長公が崇敬しておりました素盞鳴命をおまつりしたと伝えられ、その後当社の祭神とし、勧請されました。江戸時代には、主祭神、相殿(二座)の三座の大~様を合わせて「三所明神」と称されていました。明治5年には郷社に列し、同43年9月28日、宇野辺の八幡神社、鶴野の皇大神社、丑寅の皇大神社が境内に合祀され、今日まで三宅の郷の産土神として、御鎮座されております。また、親しみを込め「三宅神社」と称されることもあり、篤い信仰を集めております。





◆氏子地域 

 当社の氏子地域は旧三宅村から成り立っておりましたが、現在は茨木市・摂津市にわかれております。

 
茨木市
  宇野辺、丑寅、蔵垣内、大正町(一部)

 摂津市
  乙辻(千里丘東一丁目)
  太中(千里丘東二丁目)
  東小坪井(千里丘東三丁目)
  西小坪井(千里丘一丁目)
  鶴野、香露園、南千里丘
  昭和園、桜町、学園町


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