〜井於神社奉納「算額」について〜
〜由来〜
当社には弘化3年(1846)に算額が奉納されていましたが、去る昭和二十五年の台風の為、欠落破損してしまいました。
偶然にも高槻市桜ヶ丘、春日神社氏子総代表の木原富蔵氏がこのことを聞き、日本数学史学会 近畿支部に連絡をした。数学史学会にて調査をしたところ、昭和十七年一月発行、清水義雄氏による『社寺奉納算学集』下巻三七七頁にその全容が掲載されていることがわかりました。大阪府内に数ある算額ですが、この算額集の目次を見る限り、当社の一面だけが記載されております。
神社では、この算額を復元する運びとなり、数学史学会では運営委員会に於き、この申出を応諾されました。そして昭和50年10月に色鮮やかな算額が復元されました。
〜算学について〜
日本固有の数学を「和算」という。和算は江戸時代の初期より興り、僅かに250年の短時間に西洋数学に匹敵する進歩を見せたことは世界的な驚異である。
ことに算聖 関孝和(1642?〜1708)が出現してからは数々の工夫と進歩があり、算法開流として和算の中枢的役割を果たした。
この他、宅間流・中西流・麻田流・真元流・最上流等全国的な広域流行を見たのである。
当社の算学の系統は算法開算近道流と言い、大阪の北郊に幕末の頃栄えた流儀である。
「井於神社奉納算額(復元)の由来」日本数学史学会編
●以下に掲載されている資料は上記算額内の問題即ち「算学」ついてのものです。全ての問題について記載はされていませんが、江戸期には既にこのような図問題の解き方が行われておりました。
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